空が落ちるブログ

空が落ちても何もないよ

お風呂で髪を束ねるとか野暮な話。

なんか話題になってるお風呂入るときに女の子が髪を結ぶか結ばないかって話。

togetter.com

これ読んだ時になるほどなあって思った。でもこれって完全に女性視点の考えだよね。男から見ればそんな髪の毛とかそういうところ関係なくて、男性作家か女性作家かなんとなく感じ取れるものなんだよね。

 

確かに髪の毛を湯船につからせるのは不衛生極まりない。そんなことも作者は分かってないのかよみたいな話。それに対する作家の言い分。 

地獄先生ぬ~べ~の作者だけどそういう都合もありますよと。続けて岡野先生はこう言ってます。

 

 

まあそうだろうなあ。

作家にとって作品内をでわざわざ現実を忠実に再現する必要なんてないから、都合よくっていうと語弊があるけど、その作品に即した内容に書きかえるのが当たり前って話。

最初の「女性がお風呂で髪を束ねないのはおかしい」っていうのは野暮ってもので、言ってみれば「女の子がパンくわえて走ってるのはおかしい」って言ってるようなものかと。突き詰めれば漫画やアニメの中でおかしい点なんてたくさんあるはずで、現実との相違点は表現のために書きかえるべきかなあと思う。

んで逆に女性作家はお風呂シーンはしっかり髪を束ねて書くらしい。こうなっちゃうと岡野先生理論だと隠せないんだよね。

ここら辺はやっぱり考えが男性作家と女性作家では違うからだと思う。どっちが偉いとかそういう話ではないけど、そのキャラをどうとらえてて、どのように読者を意識しているかだよね。

バクマン。」内の話だけど青木紅に福田真太がいろいろ教えるシーン。

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髪を束ねず隠すって方法はやっぱり男性読者を惹きつける表現方法なんだと思う。逆に束ねるってのは読者置いてきぼりで、ただ現実に即しただけの話とも言える。もちろんいろいろ考えた上での束ね髪の可能性もあるけどね。

そういった意味で髪を束ねるかどうかなんか見なくても男性読者は「あれ魅力感じなくね?」みたいな違和感を感じたりする。想像を掻き立てられるようなカメラワークだとか構図だとかがやっぱり必要。

現実に即するだけが漫画・アニメじゃないんだよって話。表現は無限大ですね。

つまり何が言いたかったか言いますとやっぱり矢吹先生は神なんだよ。