空が落ちるブログ

空が落ちても何もないよ

芸術の秋だが芸術性とかいう謎の観点

芸術の秋だがいかんせん芸術のことがよくわからん。子供のころから美術も音楽も授業態度だけでなんとかしてきた男だ。あとはなんか有名な作品をマネて作品を作っておけば評価されてた。ちょろいもんだぜ。マネたなんて言葉はよくないね。ただのオマージュですよ。モチーフにしただけですよ。インスパイアされただけですよ。

 

それっぽく形にしておけば芸術性とかいう謎の観点で評価される。それが学生の間だけで通用すればよかったのに、意外とこういうことは大人になってもあるみたい。何が大事かというか誰がやるかが大事みたいなやつ。大人の世界ほどそういう勝負ばかりで、その誰がに当てはまるように努力をしていくためのゲームみたい。

芸術の世界も結局は誰が書いたかが重要なのではないか。やっぱり偉い人がつくった作品はすごいんですよ。偉い人が作ったやつですから。そんなものを批判するなんておこがましいですからね。美術部の高校生が半年かけてつくった作品よりも、偉い人が1時間で作った作品の方が価値があるんですよ。過程とかそんなの全く無視ですよ。偉いんですから。年月を積み増した経験がその作品に溢れ出てますからね。若造にこの深みが出せるはずがありませんよ。

じゃあその高校生がすごいと認められるにはどうしたらいいのでしょうか?決まってますよ、その偉い人が「この高校生の作品はすごい!」と言えばいいんですよ。「他の誰にもない味が出ている。将来化けるぞ」なんて言ったものならその高校生は生涯安定を手にしたようなものですよ。その偉い人は今まで弟子なんてとったことないのに、この高校生を弟子にとりましたなんてなったら作品の価値は思いっきりあがるの。すごいなあ。

そうなると高校生が目指すところはもはや良い作品をつくることではなくて、偉い人に認められるようにしようとかいう目的になっていきそうじゃん。先生の講演会がありますなんて話があったら行って存在アピールしちゃうじゃん。その間に作品作ってろよって話だけど顔売っておかないとね。食事会にも誘われちゃって仲良くなっていけばなんか知らんうちに弟子になってましたとか思わぬどんでん返しありそうじゃん。

まあそうやってると作品作ってる暇ないもんね。まあ作品なんてそれっぽく作っておけば芸術性とかよくわからんやつで評価されるじゃん。もうこれサクッと作っておけばいいんですよ。インスパイアされちゃいましょう。モチーフ取り入れちゃいましょう。オマージュしときましょう。

まあそういう感じでマネするってことがいかに合理的な社会になってるかが問題でもあるよなあ。いろいろ言いますけど芸術作品みるのは基本的に好きです。作品見て批判しまくるのは嫌いですね。好きなところを見つけて語って欲しいです。f:id:drop-sky:20151123001047p:plain

ちなみにこれはオマージュではありません。コラージュです。