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効率のよいギャンブルとはなにか。

効率のよいギャンブルとはなにか。

果たしてギャンブルというものに効率がよいとかそんなのあるのかって話でもある。その通り効率のよいギャンブルとはやらないことである。なにもやらないことこそが勝利であり、絶対だ。だがしかし一度ギャンブルに魅せられてしまった人にとってはそれは無理な話である。射幸心を煽るからこそギャンブルなのである。中毒性があるからこそギャンブルなのである。だからこそ多少ギャンブルに傾倒するものにとっては効率のよさというものを気にした方がよいのかもしれない。というかこれは完全に人から聞いた話である。

 

その聞いた人というのはいかにも俺はギャンブルマスターだぜと言わんばかりの男だ。ギャンブルでは負けたことがないと豪語する彼は、この世のギャンブルの全てを知ってるんだと言わんばかりに自信満々な人物だ。そんな彼をこちらは崇めたてまつる。ギャンブラー友達は非常に都合がよい。勝った時に奢ってもらい、負けたときは慰めればいいだけだ。もしかしたらこれこそが儲けだけを狙った場合の勝ちパターンなのかもしれないが、それはやはりギャンブルの中毒性や射幸心を煽るところがないからものたりない。

さてそんな彼がいう効率のよいギャンブルというのは麻雀である。4人で卓を囲み、お互いの金を腐心するゲームである。場代という名の参加料を払えばあとは奪うか奪われるかの世界である。確かに1時間あたりの参加料は非常にお手軽で、それ以外に雀荘に取られるマージンも比較的に安い。セットであれば場代のみ、フリーはゲーム代と1位の取られ分ということである。

しかしリスク(マイナス)が少ない分、やはりリターン(プラス)も少ないというところがあるのは事実だ。1日通してやって何十万も勝てるといった話はあまり聞かない。実力差が出るといっても運7実力3といわれるゲームである(そうでなきゃギャンブルとは言わないが)。もちろんレートを釣りあげたり、差し馬などをすればいいのかもしれないがあまり一般的ではない。パチンコや競馬の方が1日で儲けた額でいえば遥かに多い。

そうであれば麻雀というのはただのローリスクローリターンのギャンブルであって、効率のよさでみた場合には競馬やパチンコと変わらないのではないか?という疑問がある。しかしギャンブルマスターの彼はそれでも麻雀が効率がよいという。

なんでも「勝つために要する努力」が少なくすむらしい。

競馬やパチンコで勝とうと思うと、馬の情報を常にチェックしたり、機種の特性をつかむのに時間が必要とされる。しかし麻雀はと言えばルールを覚えて実力がつけばそれでオッケーなギャンブルだという。

いわゆる「アップデートの必要がない」ギャンブルであるとのこと。

確かにこれはそうかもしれない。競馬やパチンコは一旦戦線から離れると情報の収集に困ることになる。そりゃ適当に打つだけならそんなこと考えずにフィーリングで打ってればいいが、やはりギャンブルは勝つためにやらなければと思う。競馬も今年の馬はどうか、馬場はどうか、騎手は調子がいいのかなどなど情報が多すぎる。新聞にそれなりの情報は載ってるがそれを果たして鵜呑みにしていいものか。勝とうと思っているならば正着ではない気がする。そもそもJRAの取り分が25%あるだけで厳しいところもあるが。

僕は彼の理論に震えた。今までなんと効率の悪いギャンブルをしていたのだろうか。前走のレースなどを見てないくせに競馬で勝とうなんてどうかしてる。こと勝つという部分に焦点をあてれば麻雀ほど効率のよいものはないのだ。

高校生の人がいれば極めるべきギャンブルは麻雀だと教えてあげよう。極めれば極めるだけずっと長い間役に立つ。パチンコを極めたところで機種が入れ替われば意味がなくなる。競馬を極めたところで、受験勉強なんてしてたらすぐトレンドがわからなくなる。

かなしいかな今の大人にそんなことをいっても無意味である。ギャンブル中毒である彼らはその当たった時の高揚感が忘れられない。射幸心を煽るからこそギャンブルなのである。中毒性があるからこそギャンブルなのである。

さあ有馬記念だ。去年はジェンティルドンナが有終の美を飾った。果たして今年はゴールドシップ引退試合に華を添えるのか。それともラブリーデイか、キタサンブラックか。

効率のよさなんて関係ない。勝てばいいのだ。