空が落ちるブログ

空が落ちても何もないよ

なぜもっと学生時代を楽しめなかったのか。カースト下位は味噌汁に伊勢エビを入れられない。

なぜもっと学生時代を楽しめなかったのかと後から思うことがよくある。
大学時代はまあまあ楽しんでたとしても高校のときなんかは変に斜に構えて全然楽しめてなかったと思う。
もしかしたら当時はそれが楽しかったのかもしれないけれども多分もっと楽しい方法があったと思う。
というかそもそも全く持ってユーモアが足りてなかったと思う。 

 ユーモアが足りてなかった理由は今でもわかるが多分余裕がなかったんだと思う。
他人に劣等感を感じて全く自分に自信を持ててなかった。
今それがあるかというとそうでもないが以前よりはマシな人生を歩んでるのではないかと思う。
というか自分は自分という考えがしっかり身についてきたからだと思う。
それは他人を一層気にして見れてきたことからだと思う。
友達と話していると「なんでそんなに気にしてるの?」と言われることがよくあった。
そうしないと生きていけないのである。

めちゃくちゃ他人のことを気にして生きている。
こう言ったらどうなるか、こういう行動を起こしたらどうなるか。
気にし過ぎて「全く他人のことなんて気にしてないですよ。」なんていう「気にしてないふり」すらして生きている。
だから一部の人間には「お前ははっきりしてるな」なんていわれる。
こっちとしては「そう見せている」わけであって全くはっきりしてない。
AかBかで悩んだ時に悩み過ぎると優柔不断なやつだと思われるだろうから即答する。
絶対にAがいいというわけではないのにAと即断する。
あまりにも周りを気にしての回答だからそこに絶対的な答えはない。
とにかく周りからの目が気になるのだ。

大学あたりからこれがうまくなった。
別の自分を作り上げることに成功した。
二人目の自分は人当たりもよかった。
周りから明るい性格だと思われた。
正確には「明るい性格だと思われることに」成功した。

明るい性格の自分はいろいろなことに楽しむことができた。
とにかく楽しかった。
ユーモアもあった。
余裕があったんだと思う。
一人目よりも二人目の方がカーストでは上位にあった。
いわゆるリア充軍団だった。

もっと早くからこの二人目がいたらどうだろうか。
中学、高校と楽しむことができたのではないだろうか。
勉強、部活、恋愛と青春を謳歌することができたのではないだろうか。
制服デートなんてできたのではないだろうか。

カーストの下は苦しい。
カースト上位の人間では許されることが許されない。
調理実習なんかで味噌汁の具を何にしようか?なんて話題になっても回答は絞られる。
カースト上位の人間は「豆腐」とか「わかめ」とかありきたりなものから
伊勢エビ」とか「クルトン」とかいうふざけた回答もできる。
伊勢エビなんて高級品いれれねーよ!」
「クルトンはコーンスープだよ!」
なんてツッコミが入って楽しめる。
カースト下位は「豆腐」と「わかめ」しか入れられない。
カースト下位には味噌汁に「伊勢エビ」を入れることはゆるされないのだ。
伊勢エビ」なんて答えようものなら
「もっと真面目に考えろよ。」
なんて言葉が返ってくる。
ユーモアなんてものじゃない。
ただのふざけだ。空気を崩すことを許されない存在なのだ。

自分が導きだした方法は気にして気にしまくる方法しかなかった。
どうすればいいのか他人をよくみて「この人ならこういう行動するだろうな」って考えて自分の意見を押し殺して生きてみた。
そうするとだんだんいろいろなものが見えてきた。
そうしていたら自分を出しても大丈夫な状況も増えてきた。
でもたまに自分をだすと痛い目を見る。
これほど怖いことはない。

他の人たちはこんなこと考えてないらしい。
自分からしたら信じられない。
心の底からその選択をしたのか。
気にして気にしてこっちは生きているのに。
AかBか決断を迫られて、Aと答えたらみんなと同じで、Bと答えたら外して、
でも単にAと答えたら合わせただけだと思われて、Bと答えるにも理由をつけて
それっぽいことを話す。

これが当たり前なのだろうか?
これが当たり前だとしたら高校時代の友達はすでにこれができていたのだろうか。
そうだとしたら高校の友達は天才しかいない。
大学入ってやっと手にしたスキルをみんながもってたなんて考えたくはない。
だからみんなはそんなことを考えずとも回答できる心が綺麗なんだと思う。
そうした心が綺麗な人だからこそ味噌汁に伊勢エビを入れることも許されるのだろうか?