空が落ちるブログ

空が落ちても何もないよ

あなたは過去に嘘をついたことが一度もない

そう思う
ややそう思う
あまりそう思わない
そう思わない


どういうこっちゃ。何を聞きたいんだ。そして回答がずれてないか。
適性検査という名前で人の素性を画一的に判定していく悪魔の所業をつい最近受けたのだがあまりにわからない質問に困惑した。
果たして過去に嘘をついたことが無い人などいるのであろうか。この問いに対して「そう思う」と答えるのは既に嘘をついているのではないか。人間なんて嘘の生き物だ。女の子が「かわいー」と言うのが嘘のように日々過ごしやすいように生きている。それなのに一体この質問に何の意味があるのか。
嘘をついたことのないと言い切る人を見つけるためにあるのか。それとも誠実な人を探したいのか。もしかしたら俺の知らない嘘のないピュアな世界が存在しているのか。全くもってわからない。


あなたは過去に嘘をついたことがある


そう思う
ややそう思う
あまりそう思わない
そう思わない


また似たような問題が!さっき聞いたじゃん!さっきと回答がかぶるじゃん!
お前ベッキー好き?って聞いた後にお前ベッキー嫌い?って聞いたようなもんじゃん。そんなんその質問の間に不倫騒動が起きない限り答え決まってるじゃん!試験中の数問解いてる間に一体何があったの?って思うじゃん!


あなたは約束を一度も破ったことがない


そう思う
ややそう思う
あまりそう思わない
そう思わない



一緒じゃん!!!ベッキーだって世間の掟破ってるんだよ!俺も約束くらい破ったことあるよ!

そんなことする人じゃないと思ってた・・・

先日ある女性から相談を受けた。その子はまあそこそこ顔はいい方かもしれない。しかし性格が破滅的に酷い。口が悪いとかそういうやつじゃなくて、いい子ではあるのかもしれないが、脳内にお花畑でも広がっているのではないかと思うような存在だ。ガードのゆるい女とでもいうのかふらふらーっと押しの強い男にはついていっちゃうような感じ。そんな人から「愛人体質」で困ってると相談を受けた。狙っての愛人体質だと思っていた俺はそんな悩みがあるとは露とも知らず驚いたものだ。

愛人体質というのはいわゆる相手の本命でないのにやってしまうということらしい。オンリーワンの花になれずにいるのがもどかしいとのこと。でも彼女いる人に押し倒されるなんて・・・そんなことする人じゃないと思ってたのに・・・とのこと。

なんだこのめんどくさい女は。もうだったらふらふらついていかなければいいじゃないかとはっきり言ってやったが「私って押しに弱いんですぅ」とかいうさらにめんどくさい言葉を言われてしまった。

そもそもなんでそんな事態になるのか一連の流れを聞いてみた。だいたいどっかで「あ、こいつ私のこと狙ってるな」って気付くのではないかと。家を出る時点で下着でも確認しているのではないかと。

もともと愛嬌はあるせいかサシ飲みによく誘われるらしい。その時点で男に気があるのではないかと思うが、まあ男の沽券に関わることでもあるので飲むくらいはよしとしよう。本当に飲みたいだけのやつもいるし、話を聞いてほしいだけかもしれない。このあたりの尺度が非常に難しいからこそ男女関係は難しいんだと思いつつも話は進んでいく。

「急に隣に座ってきて・・・」

ちょっと待った。なぜ隣に座る。居酒屋の個室部屋なんて大抵対面に座るのが常識だろう。お互いが向き合って自分の席の隣に荷物が置いてあるはずだ。その荷物を差し置いて隣に座ってくるって明らかにやばいだろ。トイレから戻ってきたら荷物どかしてわざわざ隣に座ってくる男をそんなことするような人じゃないと思ってたのか?

「もうお酒でベロンベロンになってたから・・・」

あーもう待ってくれ。なぜサシ飲みでべらぼうにお酒を飲んでるんだ。話できないだろ。もう男の方はお酒の勢いでやっちゃう気満々だろう。

「キスされちゃって」

ほら言わんこっちゃない。

「終電なくなっちゃった」

出たよ。こういう男女のために終電はなくなるんじゃないんだよ。残業手当も出ないサラリーマンのために終電というものがなくなるんだよ。お前らみたいなやつのために終電という制度をなくしてしまったらこの日本の過労死は絶対的に増加するぞ。なのにきっかけ作りのためだけに終電なくなっちゃったを利用しやがって。

「ホテル行っちゃった」

別々で泊まれよお。なんでわざわざ二人でホテル行ってんだよお。やるにきまってるだろ?お酒入った男女が二人でホテルなんて入ったらそりゃやること一つだろ?それなのにそんなことするような人じゃなかったって?脳内お花畑かよう。

って感じで男女の交わりをしてしまったらしく、しかし男の方には彼女がいるのに私かわいそう!って愚痴を延々と聞かされて疲弊した私でした。

なんだろうかこういう人の「そんなことする人じゃないと思ってた・・・」ってのは。ただ見る目が無いって問題じゃないと思う。逆に私モテるでしょアピールにも聞こえてくるようないやらしさを感じる。断れないという一方で求められてる自分が好きという一種の自己愛の強さからくるようなものにも感じる。もう明らかに自分の方に問題があるのではないかと思わせる。

ほんと私どうしたらいいんでしょうか?と切実な悩みを問いかけてくるがもはや普通に断れよと言っても「押しに弱いんですぅ」と理由にもなってない言葉を言われる。

だったらもう気にせず体を許し続ければいいのではないでしょうかとつきつけ、実際やってしまったことに対して満足しているみたいだしもういろんな人に抱かれちゃって既成事実だけ作って結婚してしまえばいいのではないでしょうか。としっかりもう諦めの答えを提示するも「そんなんじゃだめなんですぅ。もっといい男性としっかりお付き合いしたいんですぅ。」と熱い恋愛に対する価値観をぶちまけられる。

「結局どうすればいいんですかぁ」と言われる。

まあ僕から言えるアドバイスは一つです。

荷物はしっかりとなりに置いておけよ!

 

 

今日こんな面白いことあったの!

今日こんな面白いことあったの!会社の部長にお茶を入れるときだったの!お茶はいつも給湯室でいれるんだけどね!そこで先輩がちょっと話してたの!なんか上司がカツラつけてるんじゃないかって話!わたしそんなこと全く思ってなかったんだけどね、なんかそういう話聞いたら気になっちゃって!先輩にこれからお茶もってくこと伝えたらね、聞いてきてとか無茶ぶりするの!でも私そんなこと聞けないですよーって断ったんだけど聞かないといけないことになっちゃって!いやだなあって思いながらお茶持ってったら部長がね私の方も見ずに「お茶そこ置いておいて」とか言うもんだから私も会話するタイミングなくて先輩ごめんなさいとか思ってたらいきなり一個下の後輩がね「部長、アデランス行くんですか?」とか急に聞くの!私びっくりしちゃってほんと面白かったんだよね!

 

 

ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ

社内営業の大事さ

社内営業は大事だぞ!

ってよく使い古された言葉だと思う。俗にいう根回しの精神。仕事を円滑に進めるために必要なことであって、むしろこれをしないと成果をなかなか上げることができない。会社の営業マンなんて大抵客と上司との板挟みにあうから、その両方とうまく折り合いをつけないといけない。

一般的な営業で車のディーラーなんかは社内営業がうまくいってると「ここまで安くできますよ」ってのが出来る。320万の車を300万で売ることができますよーってのが出来る。社内営業うまくいってない人はこれがなかなか下げれないんだと思う。事前に会社の上司に「320万ですけど300万だったら売れる可能性が高いです。」と一言言っておくだけでだいぶ違う。

露骨な根回しも結構あって上司も人だから飲みについてきてくれるやつの頼みは聞いちゃうってのもある。サラリーマンは大変だ。

んで聞いた話なんだけど銀行員の社内営業は他の会社よりも大変だって言ってた。金融機関って営業がきつそうなイメージあるなあとは思ってた。あと人間関係きつそうだなあって思ってた。まあそれが事実あっていたということだ。

彼曰く銀行ってのは社内営業で売上を5倍にも10倍にもすることができる仕事らしい。どういうことか。

銀行員の営業ってのはお金を貸すこと。一方銀行の取引先ってのはお金を借りたい人。もちろん利息とかいろいろあるけどとにかく会社はお金を借りたいらしい。するとお互いに意見が合致する。銀行の営業は多くのお金を貸したい、銀行の取引先も多くの金を借りたいってので客の方の問題が一気に解決する。一方で車の営業ってのは売上を増やしたい、車の取引先は価格を下げたいってので意見があってない。ここが大きな違い。

こうなると銀行員ってのは客と上司との板挟みってのがなくなる。するとあとは社内営業の力でなんとかしていくだけになる。審査とかいろいろ厳しいものはあるが貸せるだけ貸すってことになる。この幅、やはり上司も人ということで感情にかなり左右されるらしい。

あいつは頑張ってるから通してあげよう。事前に話してくれたし対策を打たないとな。と上司はなる。逆に社内営業やってないやつには「お前の案件なんか通してやるもんか」ってなる。

金額にしても100万200万の話ではない。1000万円が5000万、1億って話になるらしい。削るわけじゃないから金額の幅がすごいことになる。もちろん客がそれだけ借りるかって話にもなるが、業績のいい会社だと貸すのは簡単になるらしい。あとは上司になんと説明するか。

一応金融庁とかの検査があってちゃんと理由があってお金を貸したのかとかそういうの見られるらしい。しかしそこも社内営業うまくやってればちゃーんとやってくれるって。

すごい社会だな。いやもしかしたらもっとひどい社内営業を必要とするところがあるのかもしれない。

ちなみに社内営業ってのはかっこよくいうと「ロビー活動」とも言うらしい。東京オリンピックを誘致した時にこのロビー活動がかなり話題となった。「お・も・て・な・し」とかクリステルが言ってる間にロビーでかなりの激戦があった。このロビー活動がなければ東京オリンピックはなかったと言ってもいい。それくらいすごかったらしい。

政治の世界の社内営業はかなり厳しいみたい。甘利経済再生担当大臣が辞任しました。秘書がお金受け取ってました。「いい人とばかり付き合ってたらやっていけない」と話し、かなり内部にも敵がいた様子。お金に関してもはめられたのではないかとも言われてる。もっと社内営業をうまくやってればよかったと思うのかね。大事なのは他にあった気もするが。

LINEに課金するのはありなのではないか

今まで携帯ゲームとかに課金なんてあほらしいと思っていた僕の考え方が変わったのでちょっと書いていきます。まあ特になにかに感銘を受けたというわけでもなく、自分の発見的なものです。すでに多くの人が気づいていたことかもしれないけど。

ネットの人って一般の人よりもデータにお金払うなんて愚の骨頂という考えが多いかと思います。世間一般より達観してるからか、「課金」という言葉自体にもはやかなりの毛嫌いがあるような。

そんなこと言って自分も「課金」=「悪」と考えるくらいソシャゲが嫌いですし、そういったソシャゲの台頭がゲーム業界を衰退させてしまったのではないかと考えるくらいです。

課金する人の考えとしては時間をお金で買ってるというイメージらしいですがどうにもそういった感覚が理解できない。お金で強くなるって感覚を受け入れられないのかもしれない。

まあここではソシャゲの課金が善か悪かという話は置いておきます。多分きりがないですし散々議論されていることだと思います。

そんな中で「LINE」に課金するのってよくないですかねって話。別に僕はLINEの回し者でもないですし、スタンプ作ってるようなクリエイターじゃないです。それでもLINEに課金するのはもしからしたら理にかなっているのではないかと思ったわけです。LINEといってもスタンプのことです。LINEゲームはソシャゲですから別物ですよ。いわゆるSNSという機能のLINEです。

前述の通り僕は今までソシャゲに課金したこともない一方でLINEスタンプを買ったこともないです。なのでこんなスタンプにお金をかけるなんてもったいないなーって感覚を持っていましたし、そんなスタンプを見かけると「これ課金したやつかよ」ってばかにした目で見てました。一応フリーコインっていうのがあったりするらしいですが、よくよく聞くと課金したって人が多いです。たかだか50円とか100円の話ですけど課金するのもなーって考えです。

まあここで心境の変化というやつですが、この50円100円でかなりコミュニケーションを促進できているのではないかと思えてきたのです。いわゆるコミュニケーションツールというLINEに対して50円100円という投資は安いものではないかと。

今の時代LINEでのやりとりってのは大半の人がやっています。LINEをやっていない人の方が奇異の目で見られます。それだけ社会に浸透しています。

一方でスタンプの数もかなり増えて来ました。スタンプを個人で作る方法なども紹介されてかなりの数が増えてきたのではないでしょうか。過去に比べるとそれは数え切れないほどに。

以前のLINEスタンプはというと公式キャラクターばかりでやれディズニーだのやれゆるキャラだのといった誰が使っても特徴のないようなスタンプばかりでした。そんな中でスタンプを購入する人はただの物好きなような感じでした。

しかし最近ではもはやなんのキャラかわからないようなスタンプまで作られています。おじいちゃんが作った謎スタンプなんかもつくられています。会社も力をいれてきて公式のものもかなり増えて来ました。いわゆる選択肢がかなり増えたかなと。

これだけ選択肢が増えるとある意味スタンプで自己表現ができるレベルまで来たのかと思います。5つある内からそれを選んだのかと思われるのと100個ある内からそれを選んだのかというのはかなり違うのかと思います。またそれだけ数が多いと初めてみるのが多いです。そこからコミュニケーションが促進されるのではないかと思います。

「あのスタンプ使ってるのは俺だけ」と思うこと、「このスタンプかわいい」って言われようと思うこと、そのことに50円払うのは全然理にかなってるのではないかと思いました。

終わり

魔法の言葉

日本サッカーリオ五輪出場決定おめでとう。正直サッカーなんて全く見てないしオリンピック出場がどういう意味を持つのか全くわからないけどなんかおめでとう。やっぱ勝つのはいいよね。サッカーなんていっつも「負けて得るものがあった」っていう口癖をいうような組織なんだと思ってたけどそうじゃなかったみたい。

それにしてもサッカー選手になるような人っていうのは一体いつからサッカー選手になろうと思ったのだろうか。結構多くの人がサッカー選手とかプロ野球選手とかを夢見ると思う。小学生の時の作文とか探せばその辺のサラリーマンも将来の夢「サッカー選手」とか書いてあるだろう。しかしながらその夢は叶わず暑い日も寒い日もウォーターサーバーを売ってるような人生を歩んでいるのである。

かくいう自分も小学校の時に将来の夢をプロ野球選手などとのたまっていた人間である。少年野球チームに所属してはいたが、キャプテンというわけでもなく、エースであるわけでもなく、ましてやクリーンナップを打つわけでもない。そんな自分が将来の夢をプロ野球選手だとのたまっていた。死ねばいい。あの時の自分を殴りつけてやりたい。

プロ野球選手になるやつというのはその頃から既に大活躍してるのである。天才少年ここにあり!なんて触れ込みが既にある。それなのに俺はプロ野球選手がどういうものかも知らず将来の夢はプロ野球選手なんて言っていた。とりあえずプロ野球選手と言っておけば体裁がいいというのもあったが、正直一生懸命練習していればプロ野球選手になれるもんだと思っていた。

甘かった。ただただ甘かった。プロ野球選手になるやつというのは毎日必死で努力している。目標を持って野球をやっているのである。毎日素振り1000回やろうだとか、来年までに球速を10kmあげようだとか頑張っている。それなのに俺はそういう自分を縛りつける行為を嫌い大した目標も持たずにやっていた。そんな奴に成果が出てくるはずがない。現実としてプロになるやつなんて数字の時点ですごい。150kmを投げられるだとか、高校通算50本塁打とかわかりやすい。

そういう風に活躍する人は本当に負けず嫌いだ。そりゃそうかもしれない。数字で勝負してるんだから圧倒的に勝負の数が多い。それでかなりの回数負ける。しかし負けたくないから努力する。勝ちを求めるサイヤ人的な人間。ただただ凄い。

サイヤ人はプロの夢をあきらめて会社に入ったとしても多分活躍する。会社も数字で戦う部分が多いから。今まで150kmの球を投げようと思っていた人がウォーターサーバーを150台設置するなんて目標を持ち、そして目標を達成する。そうやってサイヤ人は会社でも好まれる人材となる。

しかしサイヤ人はどうしても社会となじめない。悟空をみればわかると思うが明らかに頭おかしい。一般人がそんなやつらとうまくやっていけるとは思えない。なのに会社はサイヤ人ばかりでなく一般人が混じってる。超戦士の中にヤムチャが混じっているのだ。無理だ。太刀打ちできない。エアーマンが倒せないばりに勝ち目がないのである。タイム連打してるうちに足元がお留守である。

そうしてヤムチャは負けまくる。数字の世界に飛び込んでしまったからには数字で勝負をしないといけない。サイヤ人のように不屈の闘志があればいいが厳しいのではないだろうか。結構ストレス溜まるだろうなあ。そういうときにヤムチャはなんと思うのだろうか。

「負けて得るものがあった」なんと便利な魔法の言葉。

桐島、ブロガーやめるってよ。

どういうことだよ桐島!ブロガー辞めるってどういうことだよ!これからメディアクリエイター目指すってどういうことだよ!

という感じでいきなり書き始めるけどなんか「メディアクリエイター」とかいうかっこいい横文字並べた言葉を流行らそうとしているのか若者が頑張っているらしい。元記事読んでみたけど俺の読解能力が欠けているのか特に論理的なこともなく、ただただ才能なくて人との差を見せつけることもできないから名前だけでも変えて俺は違うんだぜアピールしたいのかと思った。

まあ本質が変わるわけでもなく、でもイメージ戦略としてこういうのはよくあるよね。もうすでに名前だけでめちゃダサいからそもそも頂点目指してるわけじゃないからいっそのこと名前かえちゃおうぜって話。

高校の野球部とかもこういう戦略とってもいいかもね。だって野球部って坊主で変に上下関係厳しくていじめがありそうな感じあるじゃん。でも野球弱かったら「目指せ甲子園!」とか言っても恥ずかしいだけじゃん。

そんな中でうちの野球部は坊主じゃないし人間関係も良好でまあ甲子園は目指さないまでも勝ちたいと思って練習してますよーって野球部は「ベースボールクリエイター」とか名乗っちゃえばいいんじゃないの。

ベースボールの新しい価値を生み出す存在的な?めちゃかっこいいじゃん。昔みたいな野球=坊主とかそういったことうちは強要しないんで。1塁へのヘッドスライディングとか無駄なことしないんで的な存在。

オシャンティとかそういう死語を目指した野球集団「ベースボールクリエイター」とか名乗っちゃえばいいんじゃないの。

合コンとかで「部活何やってたの?」って聞かれたらドヤ顔で答えるの

「ベースボールクリエイター」

うっわ恥ずかし!いやー絶対無理だわ。そんなこと言う人と絶対に付き合えない。野球しろよ野球を。

「野球はやってるよ?ただうちは甲子園を目指すとかそういうわけじゃなくて野球を通じて仲間と生まれるクリエイティブな存在を目指してたんだよ。」

ダメだ傍から見てもただの痛い人だわ。もしかしたら今後ベースボールクリエイターっていう存在が増えて行って認知されればその恥ずかしさは抑えられるのかもしれないけどやっぱ無理だわ―。

野球しろよ野球を。野球部vsベースボールクリエイターとかで試合するでしょ。んでベースボールクリエイターが負けても「新しい価値を創造できた」とか言うんでしょ。いやいや価値じゃなくて勝ちを狙えよお前。

ほんと表面的なことだけなんか言うなら実際なんでも出来るとは思う。勝手にベースボールクリエイターも名乗ればいいと思う。でも傍からみたら高校で野球やってるんだからどう名乗ろうが「ああ野球部ね・・・」って感じなんだよ。その二度手間というか恥ずかしさに耐えれるのかな。

桐島なんで部活やめるんだよ!一緒に甲子園目指すんじゃなかったのかよ!エースのお前が抜けたらうちはどうなるんだよ!なあ桐島!

 

 

注:桐島はバレー部です。